明和の大津波。
石垣島の東海岸から西海岸へ海水が横断、通過した場所もあるといわれているとても規模の大きい大津波。それは1771年4月24日にあったそうです。
八重山の歴史をおじぃ、おばぁと話していると避けて通れないのが、この明和の大津波。石垣島東海岸を歩けば、津波の影響は今でも垣間見ることができます。
津波で転がってきた石。
『石垣市大浜 崎原公園内 津波大石』
高さ6m幅12mの琉球石灰岩の岩塊。重さは推定で500~600tといわれている。今となっては大木が岩の上に住み着いています。東海岸を歩けば、でっかい岩があるのは決まって津波石です。干潮時間帯に東にある海岸を見渡してみると、人の何倍もある大きな岩がごろごろ。
それはほとんどが津波のときに転がってきた津波岩です。
明和の大津波 簡単に詳細を。
1771年4月24日(明和8年3月10日)午前8時ごろ
沖縄県石垣島南東沖約40Kmを震源とするマグニチュード7.4の
地震が発生。この地震によって大きな被害を引き起こしたのは
最大28丈2尺(85.4m・石垣島)の大津波であった。
津波は三波まで襲来し第二波が一番大きかったと伝えられている。
※近年の研究でマグニチュード8(参考までに関東大震災はM7.8)、
最大遡上高は30~40mほどだったことが判っているようです。
そしてのその津波の被害は、
八重山群島(死者行方不明9,313人)
宮古群島(死者行方不明2,548人)などで
死者行方不明者合計11,861人もの琉球史上最悪の
大惨事に発展する。
石垣島の津波前人口17,394名が津波後は8,910名とじつに人口の48%が死亡
または行方不明となった。
また、津波に流された田畑は農作物が育たず、津波で生き残った人たちに
さらなる試練(飢饉、疫病など)が襲いかかり、1771年からの100年間に
この地域の人口はさらに7000人以上も減少する。明和大津波、この悪夢が
与えた直接間接的影響から解き放たれるまでに約100年を要するほどの大災害であり、
地域住民の困窮は筆舌に尽くしがたいものがあったと推定される。
その津波にはいろんな集落で、いろんな伝説
が歌われてます。
石垣島の白保村では、この大地震に関する伝説がある。
ある日白保の漁師達が漁で人魚を捕獲してしまい、
その人魚を放すお礼に人魚から大津波が来ることを教えられた。
村の中ではこの情報が確かなものか議論するが、結局信じる人々は
於茂登岳に避難し、信じない人々は村に残るという決断を下す。
そして津波は起こり、村は津波に飲み込まれてしまう。生き残った人々で
白保村を再興、現在に至ると伝えられる。
とか
石垣島の星野集落は、
人魚の里で有名です。
この明和の大津波。1771年4月24日。笹川の誕生も4月24日です。なんだか不吉な日に感じてしまいますね。
この過去を知ることができれば、将来の予測につながるといわれています。皆さん、津波、防災に対して、しっかり意識を常日頃から持っておきたいところですね!
特に観光、滞在中の災害はとっても大変です!ご参考まで。
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